木曽路はすべて山の中〜山を守り 山に生きる〜

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宿場と中山道の景観をたどる

このモデルコースを教えてくれた人
山本峰子さんが紹介します
鉄道とご当地グルメ研究家。フードアナリスト&温泉ソムリエ。
世界40か国、150都市、国内46都道府県を旅し、世界遺産と鉄道、ご当地の歴史あるお店好き。
旅の風景とグルメを中心にしたサイト運営はブレずに20年継続中。

島崎藤村の生誕地であり、代表作「夜明け前」の舞台の馬籠宿

馬籠宿はもともとは長野県木曽郡でしたが、2005年に山口村の越県合併により岐阜県中津川市に編入されたそうです。

中山道は江戸日本橋を起点とし京都まで約530kmの道路、69箇所の宿場がおかれていたそうです。
東海道の504?に比べると遠回りですが、東海道には大井川の川止めをはじめ海の旅や川越などの危険が伴ったそうで中山道を通る人も多かったそうです。
中山道69宿のうち、木曽には11の宿場があり、馬籠宿は板橋を1番目とすると43番目となり、江戸からの距離は332kmとのこと。
急な山の尾根に沿って道路が南北に貫通している急斜面で、その両側に石垣を築いては屋敷を造る「坂のある宿場」でした。
山の尾根のため水に恵まれておらず、火災が多かったのも特徴とのこと。
馬籠宿で外していけないのは藤村記念館。

藤村の生家島崎家は、関東の三浦一族に始まり、戦国時代は木曽氏に仕え、西からの勢力の守りにつとめました。 江戸時代には、本陣・問屋・庄屋を兼ねた旧家です。

「血につながるふるさと、心につながるふるさと、言葉につながるふるさと」
晩年の藤村は神奈川県に居を構え湯河原を愛し、湯河原で執筆をしたそうですが、ずっと心の中にはふるさと馬籠への思いがあったようです。

藤村生誕の地でもある馬籠宿。

藤村は木曽を舞台に自分の父をモデルに「夜明け前」を執筆。
夜明け前は島崎藤村によって書かれた長編小説で2部構成。
「木曾路はすべて山の中である」の書き出しで知られ、木曽の日本遺産のテーマにもなっています。
中山道の宿場町であった信州木曽谷の馬籠宿(現在の岐阜県中津川市馬籠)を舞台に、主人公・青山半蔵をめぐる人間群像を描き出した藤村晩年の大作で藤村の実父がモデルとされています。
馬籠宿は火災にあっているので後に復元されました。
緩い坂になったその道の上から眺める木曽の山々は美しく、きっと昔の旅人もここで癒され宿泊したくなったのでしょう。

史跡中山道

中山道、馬籠宿から妻籠宿へは徒歩2時間ほど
馬籠から妻籠は中山道を今も歩くことができます。
冬は雪がありますが思っていたよりも道が広く、散策路としてハイキングするには最適なコースになっています。

馬籠から妻籠までは途中、馬籠峠がありそれを超えると一石栃白木改番所跡があり、休憩スポットとして立ち寄ることができます。
中山道の馬籠から木曽谷を通り抜ける南北約85キロは木曽路として知られていますが、馬籠峠から歩いて2時間ほどで妻籠宿に行けるそうです。

11の宿場があった木曽路の馬籠宿〜妻籠宿〜三留野宿の木曽路南三宿をつなぐ12キロは、旅行者のハイキングコースとして人気で、特に欧州からの観光客が7割を占めているそうです。
最初下り谷に設置された妻籠宿の 白木改番所(木材・木工品などの出荷取締り)は、後に馬籠峠に近い 一石栃 ( いちこくとち ) に移されました。
明治2年まで、木曽五木(ひのき・さわら・あすなろ・こうやまき・ねずこ)をはじめとする伐採禁止木の出荷統制を行ってきた見張り番所といえます。
『木一本、首一つ』=木曽五木を盗伐するものは打ち首。
そんな歴史も見守ってきた中山道の古道は癒しやパワーがみなぎる木曽らしい風景。

木曽のろくろ細工

南木曽町に伝わる「南木曽ろくろ細工」。
かつての蘭村は江戸時代初期から南木曽ろくろの特産地として発展してきたそうです。
ろくろをまわしながら木をくり抜き、お椀やお盆などを作る職人を木地師と言い、木地師は遥か1100年以上も前、第55代文徳天皇の第一子惟嵩親王が近江の国滋賀郡小野に隠棲した時の従者だった、小椋大臣実秀、大蔵大臣惟中の末裔。惟嵩親王は隠棲した近江で法華経の巻物を紐解いた時に軸が回転することを発見し、ろくろを考案、ろくろ技術の始まりとなったそうです。
ろくろ細工は厚い板や丸太をろくろで回転させながらカンナで挽いて形を削り出す伝統技術です。
南木曽地域では江戸時代から、木曽谷に育つケヤキ、トチ、センノキ、カツラなど木目の美しい広葉樹をろくろで挽き特産として盛んに造られてきました。
代々引き継がれてきた職人技は木目の美しさ、手触りのやさしさが特徴です。

蘭(あららぎ)桧笠作りを体験する

妻籠宿から車で15分ほど、国道256号線を上がったところに蘭(あららぎ)地区があります。
寛文2年に飛騨から来た人が桧笠の技法を伝え産地となったそうです。
江戸時代中期、厳しい森林保護政策のもとで村の庄屋が尾張藩に請願して檜物の御免白木の許可を興したもので、当時は笠の需要が多く耕地が少ない蘭の主要産業でした。
「ひで」で編まれた手作りの笠は、かつて旅行者の移動や農作業など広範囲の用途に晴雨にかかわらず着用され、木曽路を通じて全国に広まったそうです。
「心細いよ木曽路の旅は?笠に木の葉が舞いかかる」
木曽節に唄われている桧笠は美しい網目、桧の香りとともに木曽の自然と素朴な生活風土が生かされています。
桧笠のミニ作りの体験は2時間ほどで編み上げることができます。

昭和57年10月21日に長野県伝統工芸品に指定されました。
雨でも雪でも夏の日差しの中でも、軽くて、丈夫、通気性が良い手作りのい技と良さ。
桧は、自然の抗菌作用もあり、かぶることで森林浴効果もあるため「かぶる森林浴」とも言われているとのこと。

蘭(アララギ)桧傘作りを体験する

妻籠宿

江戸と京都を結ぶ中山道は、山深い木曽路を通ることから木曽街道ともばれていました。
中山道六十九次の江戸から数えて42番目の宿場となる妻籠宿は、中山道と伊那道が交差する交通の要衝として古くから賑わっていたそうです。
明治になり、鉄道や道路が新たに作られると、宿場としての機能を失った妻籠宿は衰退の一途をたどりはじめました。
昭和になり高度経済成長の中、江戸時代の宿場の姿を色濃く残している町並みが見直され、全国に先駆けて町並保存運動が起こったとのこと。
妻籠の人たちは町並みを守るために家や土地を「売らない・貸さない・壊さない」
という三原則をつくり、ここで生活しながら江戸時代の町並みという貴重な財産を後世に伝えています。

妻籠宿本陣は島崎氏が任命され、明治に至るまで本陣、庄屋を兼ね勤めました。
島崎藤村の母の生家であり、最後の当主は藤村の実兄で、馬籠から伯父の所へ養子にきた広助(ひろすけ)でした。
本陣は明治に入り取り壊され、その後明治32年に御料局妻籠出張所が建設されました。本陣の復元は妻籠宿の保存が始まった当時からの念願であり、島崎家所蔵の江戸後期の絵図を元に平成7年4月に復元。

寺下の町並み
そこに人が住み、生活しながらつづけられてきた妻籠宿の保存運動。
最初に保存運動が行われた寺下(てらした)地区。
妻籠宿の原点ともいうべき町並みで家並みは素朴で繊細で、昔の旅籠そのままに出梁(だしばり)造りや竪繁格子(たてしげごうし)の家々が並び江戸時代の面影もあります。
うっすらと雪景色の古い街並みがなんとも美しい

脇本陣奥谷の林家

今も住まいとなっている造り酒屋で財をなした脇本陣奥谷の林家
妻籠の本陣は復元ですが、脇本陣は当時のまま保存されていて、今も林家の方が実際に住まわれているエリアもあるそうですが公開されているだけでもかなりの広さの脇本陣奥谷、林家。
南木曽町博物館は妻籠宿本陣と脇本陣奥谷、歴史資料館との三館により構成され、共通券で見学できます。

林家は代々脇本陣・問屋を勤めた家で、現在の建物は明治10年にそれまで禁制であった桧をふんだんに使い建てられました。現在は昔の生活道具、皇女和宮よりの拝領品など歴史を語る品々を展示した博物館施設として公開しています。
島崎藤村の初恋の人「おゆふ」さんの嫁ぎ先でもあり、旧家の堂々たる造りを見ることができます。

当時の林家の経済力を垣間見ることができる跡がいくつも残されていました。
林家は造り酒屋で財を成しましたが昭和8年にお米が不作で財政が傾き始めたそうです。 暖は囲炉裏で取り、囲炉裏を炊くことで出るススを毎日磨くことで出来上がった漆黒の色合い。
囲炉裏にある枕木のようなものは当主があぐらをかいた足を載せる台なのだそうです。

林家住宅は江戸時代の末から明治にかけて建設された建物で、近世の町家建築の様式をふまえています。
江戸時代には厳しい山林の統制があり、ひのきなどの貴重な木材の使用は禁じられていました。
『木一本、首一つ』という厳しい統制がありました。
木曽の人々は山のひのきを目の前にしながら、決して使用することができなかったそうです。
明治になり尾張藩の統制が終わり、林家では自分の家の山からひのき、さわらなどそれまで伐ることのできなかった大径木をふんだんに伐り出して住宅の建築用材とし建築したのが現在の「奥谷(おくや)」という屋号の林家住宅です。
江戸時代には大名や公家たちが宿泊した脇本陣だったことから、南木曽町博物館の施設の名称として「脇本陣奥谷」と呼ばれているそうです。
長い歳月をかけて漆黒になり、手をかけることで磨かれた柱や桟や扉。
『木一本、首一つ』と規制された時代を経てふんだんに桧を使った建てられた林家は見学必須の建造物です。

阿寺渓谷

大桑村の阿寺ブルー、阿寺渓谷の入り口へ
訪問したのは冬なので入り口までしか行けませんでした。
川の表面が凍っていて気温が上がってきた昼間は氷がポンッ!ポンッ!と割れていました。

エメラルドグリーンの渓谷、ヒノキの美林、切り立った岩が折りなす、自然の造形美が見どころの渓谷。
「阿寺ブルー」と称される美しい景観なのだそうです。
犬帰りの淵・吉報の滝などの名勝が随所にあるそうです。
上流部では、顔を洗うと色白美人になれるという言い伝えのある「美顔水」が湧き出ているそうです。

白山神社

鎌倉末期に創建され現存する社殿建築として長野県最古の白山神社へ
本殿に上がるための階段は急で上りがキツく冬場は危険なほどの傾斜のため、私は横の散策路みたいになっている道から本殿まで上がりました。

社殿は切妻造の拝殿と、4つの本殿とそれを覆う上屋があり、横には境内社がいくつか建っています。
本殿は全てが鎌倉時代の建築で、橘宗重によって建立されたとのこと。
「一間社流造」で統一され、見世棚造、懸魚の猪の目、裏甲のない茅負、面取りの大きな柱など、中世鎌倉時代の技法が残されているという白山社の本殿。
扉に方立柱があり、垂木が密に配置されているところなど、白山神社は他の3社に比べて造りが入念で豪華になっています。間口が1mほど、奥行きでも1.3mほどの社殿は、長野県内最古の神社建築として国指定の重要文化財となっています。

元弘4年(1334年)に建立され山岳信仰が篤かったようで4つの山岳の名前の社が並びます。
白山神社
熊野神社
伊豆神社
蔵王神社
4社殿が横並びに鎮座し、現存する社殿建築としては信濃最古のもの。
鎌倉末期に創建され現存する社殿建築としては長野県最古のもの。
白山神社を正面に、左に熊野、伊豆、右に蔵王の四社殿が並びんでいます。
いずれも一間社流造桧皮葺、見世棚造など鎌倉建築の技法を知ることができる。
1334年建立の長野県内最古の社殿として国の重要文化財に指定されています。
バレンタインデーの2月14日に建立されたため、縁結びの神様としても人気だそうです。

定勝寺

須原宿 木曽路の最古刹 定勝寺。鶯張りの本堂や東洋一のヒノキダルマ座像があり紅葉の美しいお寺としても定評のある定勝寺へ。
雪景色の石段も美しく四季を通して美しいお寺な気がしました。
須原宿は火災に遭っているため現在は昔の宿場の面影はあまりありません。
定勝寺で金永という人物が「そば切り」 を振舞ったという、日本で一番古い文献があり、木曽谷が蕎麦の特産地であることが示されています。
定勝寺の山門は庫裏を含めて国の重要文化財にも指定されています。
山門は梅雨の若葉にも秋の紅葉にも映えるインスタ映えスポットでもあり古刹名刹。
嘉慶年間に木曽家十一代の源親豊が木曽川畔に創建しました。
その後、洪水により3回流失し慶長3年に現在の場所に移建されたそうです。
この定勝寺には戦国時代木曽谷を支配した戦国大名「木曽義昌」の位牌が安置されています。また、 東洋一の「木曽ヒノキダルマ座像」は見ものです。

赤沢自然休養林

赤沢自然休養林は、日本三大美林の一つで森林浴発祥の地
木曽地域は古くから良質なヒノキを産出することで知られ、平安時代の面や仏像に始まり、神社仏閣の建築材、武士の時代には築城の建築材として重宝されました。

木曽の寒冷な環境下で育ったヒノキは、非常に緻密な年輪を刻み、同じ径の材木としては格段に強靭で耐久力もあり,時の権力者たちは豊富な森林資源を擁する木曽地域を直轄領とし、より強固な城や建築物を望み、ヒノキをはじめとする木材を使用してきたそうです。

戦国時代が終わり天下泰平の世には城下町も大きくなり、江戸時代初期に建築ブームが訪れ木曽の木材は枯渇し、森林資源の危機が訪れました。
尾張藩は上松に材木役所を置き、直轄地として厳しい森林保護政策を敷き、地元の住民が木を伐採することはおろか、入林すらも禁じ、その禁を破ったものは「木一本、首一つ」と呼ばれる処分を受けました。
保護の対象は木曽五木と言われるヒノキ、サワラ、ネズコ、アスナロ、コウヤマキのほか、ケヤキ、カツラなどにもおよびました。

その甲斐もあり、かつて森林荒廃の危機に瀕していた赤沢一帯も明治時代には美しいヒノキ林が戻り、皇室の財産として伊勢神宮の遷宮用材を産出する神宮備林に指定され、戦後は国有林として管理されています。

1970年、全国初の自然休養林として、新しい国有林の活用が始まり、1982年「第1回全国森林浴大会」が開催されました。
赤沢自然休養林は、上松町の南西部標高約1,000mのところに位置し、樹齢300年以上の木曽ヒノキが林立する天然林です。

開園期間は4月下旬から11月上旬までです。
散策路コースは8コースありますが、そのうち1つは現在閉鎖されています。

モデルコース

【1日目】

1.馬籠宿
徒歩2時間
2.史跡馬籠峠
徒歩30分
3.一石栃立場茶屋
車15分
4.南木曽ろくろ工芸
車5分
5.蘭(あららぎ)桧笠

【2日目】

6.妻籠宿散策
徒歩10分
7.林家住宅
車20分
8.阿寺渓谷
車15分
9.白山神社
車10分
10.定勝寺
車60分
11.赤沢自然休養林