宿場と伝統芸能

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冬しか見られない!木曽路妻籠・神秘的な囲炉裏の光景 見学ツアー

このモデルコースを教えてくれた人
黒江美咲さんが紹介します
@FM(エフエム愛知)パーソナリティ
美しい声とたたずまい、やわらかな声質とガッツを持つ、新世代注目のパーソナリティ。
2015年秋の雑誌「ラジオ番組表」のDJ人気投票で1位獲得。長野県木曽が好きでプライベートでも訪れている。
@FM『MUSE BEAT』出演中。

宿場と伝統芸能

名古屋から特急しなので2時間。塩尻駅から車に乗り、国道19号を南に走ると20分ほどで「そば切り発祥の地」と記された里碑が見えてきます。碑が立っているのは、現在のようにそばを麺の形で食す文化、「そば切り」が始まったといわれる本山。その歴史を今に伝えるために、地元の人々が運営している「本山 そばの里」では、この地域のそばの特徴である喉ごしの良い細身のそばが頂けます。ちょうどこの辺りから国道19号は木曽谷の深い谷あいへ。旧中山道木曽路の始まりです。江戸時代には中山道の街道整備と共に木曽11宿といわれる宿場が発達し、その面影を色濃く残す街並みが今も見られます。道中には寝覚の床や木曽の棧、鳥居峠から遥かに望む御嶽山など木曽谷の美しい景色が待っています。このコースでは木曽路の北の入り口で代表的な宿場、奈良井とその周辺を訪ねます。

塩尻市木曽平沢

塩尻ICから車で20分ほど、国道脇に「これより南木曽路」と記された石碑が置かれています。ここから約10分で木曽平沢に。木曽平沢は漆器の生産によって栄えた産業の町で、「漆工町」としては唯一、重要伝統的建造物群保存地区に認定されています。町で200年以上続く老舗の手塚万右衛門漆器店を訪れました。伝統的な技法による木曽漆器から、墨汁で模様を描いた作品や赤い漆と黒い漆を重ね、使うにつれ変化する色の交わりを楽しむ作品など趣向を凝らした品々が展示販売されていました。こうした作品は近年、海外でも人気だそうです。この地、木曽平沢が漆器の生産が栄えた理由は、その当時の国から木曽に対する厳しい森林保護政策が深く関わっています。山での採集を制限された木曽に人々には木曽の風土に根差した地場産品の生産が奨励されました。木曽平沢は漆器を作る上で重要な素材のひとつである良質な錆土が確保できた(明治時代に奈良井で発見されました)ことから漆工町として発展し、宿場町としては御免白木が多く与えられた隣の奈良井では檜物細工や塗櫛といった製品づくりが栄えたのです。与えられた材をうまく活用して地域の地場産品を生み出したひとつの例と言えるでしょう。現在、木曽平沢の町並みには店舗をはじめとして塗蔵などの作業場や職人の住まいといった漆器にまつわる建物が並びます。蔵は事前に連絡すれば見学可能な所もあるので問い合わせを。

木曽塗の制作用具及び製品

木曽の工芸品といえば曲物を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。曲物とは木を曲げて縫い合わせた器のことで、弁当箱として人気のめんぱの他に寿司桶や米びつ等も作られています。素材の木が炊いた米の水分を程よく吸ってくれるので、時間が経ってもご飯を美味しくいただけます。漆が塗られた製品は使い込むにつれて変わる色味を楽しめるのも魅力。そんな木曽で伝わる漆塗りの製品を木曽漆器といいます。木曽平沢にある木曽漆器館では、漆の採取から仕上げ塗りに使われる筆まで木曽の漆器制作の用具が展示されています。漆を塗る作業の他にも下地となる錆土の採取や生成、防水のために塗る柿渋の下ごしらえなど多くの工程を経て、温かみのある木曽漆器が出来上がっていくのです。

塩尻市木曽平沢 木曽漆器館にて木曽塗の体験

木曽漆器館では木曽漆器の制作用具や工程が学べる展示のほか、何世代にも渡って受け継がれた伝統技術を職人による実演で見学することができます。また思い思いのデザインを漆で描くことができる塗り箸の体験も人気です。所要時間は約30分、大人も子供も楽しめる塗り箸体験。「何を描こうか」と悩むのは子供よりも大人の方が多いとのこと。作業台には、様々な模様のサンプルもあるので参考にしながら漆を塗るのも良さそうです。
また国道19号沿いにある木曾くらしの工芸館では、漆工町平沢の職人が制作した漆器製品を展示、販売しています。館内には1998年の長野オリンピックの際に、木曽漆器の技術を用いて制作されたオリンピックメダルも展示され、国際スポーツと伝統の関わりを感じることができます。

塩尻市奈良井

奈良井宿に移動すると、宿場町の面影の残る街並みが迎えてくれました。奈良井宿は幕府関係の公用旅行者や参勤交代の大名行列のために人手や馬を備え、輸送・通信などの業務を負う代わりに一般の通行に対する独占的な商いが許されていました。そのため、旅籠や茶屋などが数多く設けられていたのです。江戸時代中期には宿場は南北約1kmに及び、「奈良井千軒」と謳われ、常時2000人以上が働いていました。これは宿場に職人町も構えていたためであり、奈良井宿は木曽谷の人々に許された御免白木6000駄のうち1500駄もの材料が割り当てられ、檜物細工や塗物、塗櫛など多くの製品が作られる町でもありました。奈良井宿には現在、曲物や漆器製品の土産物店が多くあり、お気に入りの逸品を探し歩くのも楽しいです。また昔ながらの家屋を活かした民宿もあるので奈良井宿で一泊するのも良いかもしれません。夜の静けさの中、石畳の通りを歩くと、宿場町として栄えた時代にタイムスリップしたような気分になります。

旧中村家住宅

奈良井宿には、江戸時代から残る旧中村家住宅という建物があります。ここは奈良井宿が宿場保存に取り組むきっかけとなった建物でもあり、もとは櫛職人であった中村利兵衛の住まいでした。現在、隣の薮原宿(現在の木祖村)で伝統技術が受け継がれる「お六櫛」を扱った問屋で、宿場特有の住宅様式を見ることができます。奈良井宿の建物の特徴は、京都などにも見られる間口が狭く、奥に長い作りです。間口をくぐった土間の先、まず目に飛び込むのは立派な梁と高い天井、そして中央には囲炉裏。かつて家族団欒でこの囲炉裏を囲んでいたのでしょうか。実際に使われていた調度品も展示され、当時の生活の様子が伺えます。

木祖村史跡 鳥居峠

翌日は、中山道の北の難所であった鳥居峠をウォーキング。出発して3時間ほどで隣の薮原宿に出ます。明治期、この峠には追剥も多く、旅人は襲われないようにチンドン屋の装束で峠を越えたという謂れもあり、春の奈良井宿では地元の若者がその姿に扮したり花笠を持って踊りながら通りをいく春祭りもおこなわれています。鳥居峠は松尾芭蕉が訪れ、「ひばりより 上にやすろう峠かな」と詠んだ句碑が今も残っています。また、頂上付近には御嶽遥拝所があり、天気がいいと美しい御嶽山が望めます。

鳥居峠のトチノキ群

鳥居峠越えの途中にはトチノキ群があり、「樹洞に入れた子が元気に育った」という言い伝えから栃の木の皮を煎じて飲めば子宝に恵まれるといわれています。ここもまた松尾芭蕉が「木曽の栃 うき世の人の土産かな」と詠んだ句碑があります。食事情の良くない木曽では昔から貴重な栄養源として栃が食べられたほか、大木はろくろ細工など大物の工芸品にも重用されました。峠を越えると宿場町のひとつ薮原です。宿場の姿はあまり残されていませんが、藪原宿の近くには明治期の御鷹匠役所跡があり、当時の様子が伺えます。この鷹匠役場跡から宿場の入口の間にJR中央線が通っているため、途中にある線路下を通って宿場に入ります。

お六櫛体験

宿場内で食事を取り、藪原宿の伝統工芸「お六櫛」の卸問屋山六篠原商店を訪ねました。お六櫛は藪原で作られている伝統的な櫛のことで、ミネバリの木が使われています。木材に糸のこで細く切れ込みを入れ、形を整えます。この整形作業や光沢を出す仕上げでは鹿の角や鮫肌などを使うのが伝統的な技法だそうです。そもそもお六櫛という名前の起源は、昔、頭痛もちのお六という女性が御嶽明神のお告げにより、御山に生えるミネバリの木を櫛にして梳いたことで全快したという伝説からです。ミネバリの木は木曽には多くありませんが、お六櫛の発展を願う地元住民によって植樹がされるなど、地域のブランドとして根付いています。しかし、その職人の数は減少し、今お六櫛を生業とする人は数えるほどしかいません。藪原宿ではお六櫛の技術を守るため、有志が集まって毎週技術訓練を行っています。木祖村の村民センターなどでは実際に櫛の制作体験ができ、出来上がった櫛は持ち帰ることできるので、さらに愛着が湧くのではないでしょうか。

水木沢天然林

木祖村には水木沢天然林という、ヒノキをはじめとした木曽五木の天然林があります。ここは江戸時代、城や城下町を作るために木曽山の木が皆伐されたあと、僅かに残された木から広がり、現在の森が形成されました。推定樹齢550年の大サワラをはじめ、樹齢300年以上のヒノキやブナ、ミズナラ、トチノキなど針葉樹と広葉樹が混交する森林です。ガイドツアーもおこなわれているので興味のある人は問い合わせを。

モデルコース

【1日目】

1.そば切り発祥の里 本山そばの里
車10分
2.曲物 木曽塗の制作用具及び製品
 暮らしの工芸館
車5分
3.塩尻市木曽平沢
車5分
4.木曽漆器館
車10分
5. 塩尻市奈良井 旧中村家住宅

【2日目】

6.奈良井宿
徒歩2時間
7.木祖村史跡 鳥居峠
 
8.鳥居峠のトチノキ群
9.お六櫛(木祖村市街地)
車30分
10.水木沢天然林